★以前執筆した朝日ビジュアルシリーズ「野菜づくり花づくり」
の連載エッセイ「ソローヒルの庭から」を大幅に加筆改稿して1年間52回
週刊連載します。自然を愛する人々、田舎に住みたい方々に読んでいただければ幸いです。

文・鶴田静 / 写真・エドワード・レビンソン 禁転載


     「ソローヒルの庭 12ヶ月52週」
   第6週 2013/4/8から

花祭 カエルの声山

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 花祭に訪れた近所の小さなお寺の誕生仏は、花御堂の中に立たれていた。
仏教徒ではないけれど、甘茶をかけてお祝いする。誰の誕生日でも祝いたいもの。
 そういえば、ここ10数年、一度も欠かさず電子レターで私にバースデーカードを送って下さる読者がいる。会ったことはない。遠い他県にお住まいで、カード以外には賀状と私からの返礼だけ。それでも長年のことなので、ご家族の状況が見えてきて、遠くにいる親戚のよう。 

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終わりの頃の花を集めて。


 私の庭の花祭はどうだろう。立像のようなチューリップが、花を大きく開いて空を仰いでいる。黄色と白のヤマブキが咲き競い、色とりどりの椿すなわち「春の木」も満開だ。今年は暖かいので、あちこちのツツジもすでに花開いている。どれも皆、仏の笑みをほころばせて。
 下草のツルジュウニヒトエも、すくっと立ち、お釈迦様に見える。佐賀県から持ってきた1本の苗から育ったオドリコソウ(ヒメではない)が根付いて花を踊らせている。そこかしこで星形の紫の花を散りばめているのはツルニチニチソウ。ギボウシやシランの芽や、グラジオラスの芽も、隣のニンニクに競うように、その半分の丈に立ち上がっている。

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 いよいよ始まった日課のような草取りをし、ベンチで一休み。高天に白い雲、その下にゆったりと橫わる嶺と谷。質素な私の庭の百花繚乱の草花、吹き出た小さな若葉を揺らしている木々、鳥の囀り。こんな光景を眺めていたら、思わず言葉が口を突いて出た。「このすばらしい環境を与えて下さり、感謝します!」。誰にともなく、自然と人と運命のすべてに言ったのだ。何が私たちにこの恵みを与えてくれているのだろう。それを思えば、精一杯の努力をして、大地を有効に生かさなければ申し訳ないではないか。自然に対して、まだ庭のない人々に対して。ましてや311のあと、わが家を失い、放射能汚染され、疎開や避難を余儀なくされている人々に対して。今更ながら、こんな初心を思い出させてくれる韶光(しょうこう)の中だった。感謝の印に庭の円卓に花を飾った。

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ハーブガーデンを散歩。左奥は雨水タンク。

 外出から戻ると、玄関前に、採りたての太いタケノコ数本が転がっている。近所の知人の竹林からだ。初物の到来はうれしいもの。早速、水と米糠で煮て灰汁を抜き、軟らかくして料理の下ごしらえをする。タケノコのお礼は、和菓子を竹皮に包んで。農作業中のお茶請けになれば喜ばしい。 
 周囲ではどこでも田植えの準備で大忙しだ。田んぼに畔(くろ)(田の縁の畦(あぜ))を作り、水を引き入れ、苗を運び入れる。その様子を見るにつけ、菜園と花壇の作業に励むよう鼓舞される。夫は堆肥の山を混ぜ合わせている。野菜屑や刈り取った草や葉っぱを積み上げて発酵させる。何ヶ月もかけ、自然を循環させて作る自家製の堆肥だ。 
 群れて鳴くカエルの声(こえ)(やま)が、低地から立ち上がってきた。ひばりの歌が高い梢を越え、うららに冴え渡ってくる。 (来週に続く)   

 
                 

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