読書欄「こころの1冊」月1回

004-5年の掲載文を毎月転載します。
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『木』
幸田文著 新潮文庫

  草ばかりで木の影もない土地 を手に入れてから、私は〃木を植える女〃になった。ドングリから柏を育て、挿し木をして何十本もの花木を育て、切り株から芽を出させ。二年経って、林とま ではいかないが木は多くなった。 だから本書に出てくる、樹齢千年だの三百年だのという古木のありようを読んだだけで羨望を覚えた。いやきっと木にではな く、それを実際に見てこのような本として遺した著者に対して、と言った方が正確かもしれない。 草木を愛する著者は、高齢を押して屋久島から北海道まで、 彼女の気にかかる木と会いに行った。えぞ松、屋久杉、藤、桜、檜、柳、ポプラ。しかし著者の関心は、いわゆる美しい木の観賞なのではない。木の人生そのも の、それも順調なそれではなく、むしろ不運な目に遭った木の成り行きを知るために、少女のような身軽さで現場に飛んでいくのである。
 自らの上に種を着床させて新しい木を生む倒木した木。大谷崩れをした山の下方に茂る青々とした緑。火山の噴火による土石流にまみれた木、降ってきた灰で 窒息している広葉樹の林や植林の落葉松や針葉樹。マッチの軸木になるポプラや「木の死んだの」や厄介者の「アテ」になってしまった木。このような運命に遭 う木への著者の同情はとても深い。
 文豪幸田露伴の娘である著者が草木に関心を寄せるきっかけとなったのは、一つには父親の教えがあったからだと言う。父親は彼女に木や花の話をしたり植物 で遊んだりして「コーチ」した。「以心伝心だろうか。それとも父子は似た感情感覚をもつ、ということだろうか」と著者は書く。
文章の美しさは格別である。そして著者独特の言葉遣いは新鮮で愉しい。 木も人も、その一生には苦楽があり、同じように「ドラマ」があることを本書は教え てくれる。この世界の存在に不可欠な木を、一本でも減らさず一本でも増やしたい。(日本農業新聞)