© Edward Levinson
子どもの頃には6年間も日曜学校へ通っていた。家
の敷地内に父が建てた集会場に、アメリカ人一家が宣教にやってきたのだ。自宅から歩いて10秒の近さだった。おとなになってからは苦しい時の神頼みしかし
ない無信心な私なのに、クリスマスが来る十二月に入ると落ち着かなくなる。世界の各地にいる家族、友人、知人にカードやプレゼントの発送をするのだ。キリ
スト教の聖典であるクリスマスを祝わない人には、「シーズンズ・グリーティングス」。形だけ真似て、室内にろうそくのデコレーションもする。外には樅の木
があるので、シンプルな豆電球もともす。それにしても最近の町中や住宅や、田舎の畑にさえ大がかりにともされるイルミネーションの派手さはいかがなものだ
ろう。
そんな日々の雰囲気に乗じて、イブになると教会
のミサに参加する。聖歌を歌うのは楽しい。日本であれ外国であれ、そのときにいる町のどの教会でもいい。一歩教会の中に入ると野次馬精神が消え、厳粛な気
分になるのが非日常的で、だらりとした私には、ぴりっとしたよい薬となる。
今までで比較的印象に残るのは、東京・六本木の
聖フランチェスコ会のミサ。気紛れの私には珍しく、何年か続けて参加した。もっともこの教会の参拝者はほとんどが外国人なので、聖歌はたいてい英語で歌わ
れる。そこでの特徴は、キリストの生誕の場面が人形で展示されていること。楽しく微笑ましく、厳粛さよりもいかにもバースデーのお祝いに立ち会っていると
いう感じがいい。
その装置は、派の創始者フランチェスコの案だと
いう。詩や音楽が好きだった、彼らしい〃演出〃である。実は私は、以前からフランチェスコに興味を持っていた。それで彼の生きた町、イタリアのアシジを何
度か訪れた。というのは彼は、太陽や月や星から風や水や大地にいたるまで、この世の中のすべての存在を平等に見、兄弟、姉妹と呼んで慈しんだというからで
ある。そして動物や鳥にもお説教をしたのだという。なんと無邪気な、ユーモラスな人なんだろう、と思ったのだ。そして彼を私の著書『ベジタリアンの文化
誌』や『ベジタリアンの世界』に登場させた。
考えてみれば、このような人こそ、この二十一世
紀の荒廃した地球に必要な人材なのではないかしら。でもそんな態度を他人に委ねずに、せめてその精神だけでも学ぼうと、伝記などを読んだのだった。彼は環
境保護の守護者として認定されている。
クリスマスを見送ると、今度は近所のお寺からお
招きがある。除夜の鐘撞きである。しっかりと防寒具に身を固めて行ってみると、大きな焚き火が赤々と燃え、少しも寒くない。長い竹棒の先に刺したつきたて
のお餅が、焚き火の火で香ばしく焼かれている。甘酒と一緒にふるまわれ、鐘撞きの列に並ぶ。闇の中に、久し振りで故郷に戻った人々の笑顔が溢れる。「おめ
でとう!」と口々に。ここもまた、厳粛さというよりは、一年を再び同じ所で送り、迎えられたお祝いという喜びの場である。それは誰か特別な人のためでな
く、生きとし生けるもののためである。
こうなると、初詣でにも行かざるを得ない。今年
はどこの神社に行こうかしら。まったく私は典型的な日本人だなあ。これといった信仰も持たないのに、儀式をその場その場で都合良く、軽くやってしまうなん
て。
けれども誓って言えるのは、自分のことはもとよ
りだが、世の中の幸せと平和を強く願っているということ。いつも自分が恵まれたことに感謝し、他人にも分かち合おうと思っていること。願ったり、祈るだけ
は簡単……。ならばよけいに思いを込めよう。
11月
るり色の空はあまりにも透明なので、見つめているとそれを突き破りたい衝動に駆られる。けれどもつき抜けてもつき抜けても、それは果てしなくガラスのよう
な空のままなのだろう。その張りつめた真空の中で、濃淡のコスモスの花が涼やかな秋風にゆらゆらと揺らいでいる。コスモス畑の中を蜂が忙しげに飛び交って
蜜を吸い、やがて赤とんぼの群れに追われていく。いくつもの命の営みが、青い空と緑の大地の間で繰り広げられている。
空とコスモスの群生、たったこれだけの風景の中にも、宇宙が大きく広がっている。宇宙ーーコスモス。今この瞬間の宇宙は太古からの連続。などと大それた
ことでなくてもいい。春先に種を蒔いたわけではないのに、そして去年はたった数本のコスモスしかなかったのに、雑草の中から無数のコスモスの苗が生えてき
たのは一体なんの仕業かしら、と考えるだけでも宇宙の力が感じられてくる。
ある春の母の誕生日に、亡くなった母の遺骨を花壇に蒔いたその場所には、コスモスの種がまだ眠っていたのだ。自分だけの場所に、ほんの少しの母の形見を
持っていたいと願ったのだが、きっと母も、私と一緒にいることを喜んでくれるだろう。無理にでもそう思いたいのは、母の晩年を共に暮らしてあげられなかっ
たことを詫び、それを許してもらいたいからなのでである。
コスモスがこの様に盛っているのは、もしかしたら母の遺骨のせいかとも思う。それは土に還って栄養となるからだ。花が大好きだった母だからこの様に見事
に咲かせたのかもしれない。私の子供の頃の家の花壇にも、母は今と同じくらいに立派なコスモスを作っていたのだった。そして母は今、コスモスの花となっ
た。母の墓は遠くにあって墓参はたまにしか出来ないけれど、こうして毎日コスモスの花を見、対話することで母と会っている。つくづく、母を墓の中にだけと
どめておかないでよかったと私は喜んでいる。
ずっと以前の秋、ある女性から便りが届いた。「私の別荘に、今コスモスが美しく咲いています。どうぞ見にいらしてください。」福井県のその日本家屋に伺
うことが出来たのは、コスモスが最盛期を越え、終わりの頃の花が鮮烈な有終の美を飾っている頃だった。華やかに燃え上がる紅葉の中で、コスモスはしっとり
と静かにたたずんでいた。ところが半年ほど経ってから、その方にとってのコスモスは、流産をしたお子さんであると知った。そのことはご当人の浜 美枝さん
がお出しになった『四季の贈物』(PHP)という本に書かれている。
流産。私も二回の流産を体験している。あの悲しみは、子どもが私のからだから引き剥がされていく痛みと共に、一生私から消えないものだ。今子どものいな
い私は、それでも優しい夫と支え合い、悲しみを乗り越えて生きている。浜さんは、素晴らしいお子様たちに恵まれたが、コスモスの花を育てることでそのお子
さんと対話をして、悲しみを喜びに変えていられる。きっと、あの美しい古い日本家屋に見事に調和する「秋桜」は今年も満開のことだろう。
来年も今年以上にたくさんの花を咲かせるようにと祈りつつ、私はコスモスにたっぷりと水やりをした。こうして季節は繰り返し、永遠に巡る。私は生も死
も、肯定的に考えることを学んだが、教えてくれたのはこの自然だ。宇宙だ。蒼空があり、コスモスが咲き、命を再生する大地がある。こんな豊かな自然の中で
毎日を暮らしていると、自分自身がとても小さく感じられる。人間が思い煩うことなどなんて些細なつまらないことでしょう。「さあ雑念を取り払ってすっきり
とシンプルに生きなさい。自分に囚われず他人を思いやって」とコスモスの花に託した母の言葉が聞こえてくる。