愛犬と夫婦の家族愛―「犬がくれた幸福」

7章 おもてなしの方法

もてなし上手

 知り合いの林さんが、奥さんと子ども三人の一家揃ってわが家に遊 びにやってきた。全員小学生の子どもたちはラッキーに大喜び。ラッキーちゃん、ラッキーちゃんと呼んで、触ったり撫でたり追いかけたり。実は最近ラッキー は、人間の小さい子どもを煩わしく感じて少々苦手になってきた。けれどもこんな風に、心底から自分の存在が喜ばれると、彼らに大いにサービスしなくては、 と心得ている。あいにくの小雨の中だったけれど、ラッキーは子どもたちの要望で、野原を駆けずり回って一緒に遊んだ。
 犬には、その人間が本当に犬という種を好きなのか、それともその犬に慣れるまで怖いと感じるだけか、はたまた全く嫌っているのか、が本能的に分かるらし い。だから、犬属を嫌いな人間が来ると、犬は「帰れ、帰れ」とウワンウワン吠え立てる。怖いながらも必至でそれを我慢し、頭の一つも撫でてくれる勇気を持 つ人間であれば、最初に警告のワンを発しただけで止め、その後は尻尾を軽く振って近づく。そして犬を大好きな人間には最初から、尻尾をちぎれるほど猛烈に 振りながら、ときには立ち上がり、前脚で相手のからだをゆさぶるほどにして歓迎の意を表するのだ。
 歓迎のしるしを通り越して甘えたくなると、突然、ごろっと横になり、次に背中を下にして仰向けになる。二本の前足は真っ直ぐ上に挙げ、第一関節のところ で直角に曲げる。後ろ足は両方の外側に開いている。おなかをすっかりさらけ出し、あられもない格好になる。お客の前でこれをやられると、こちらの方が恥ず かしくなる。「駄目っ、みっともないでしょう」と取り繕いながらも、そのままにしてやるのは、彼女の甘えたい感情を逆撫でしたくないからだ。おなか全体を 優しく撫でてやる。するとラッキーは恍惚状態になる。他のすべての犬同様、これは犬の顕著な行動と感情だ。

 林さんたちを私たちの大好きな散歩道に誘った。わが家の裏手から続く細い舗装 路をラッキーを真ん中にして一団となって歩く。川を挟んだ右の谷と左の谷とから響く蝉の合唱が、ユニゾンになって交差して溶け合い、川のせせらぎの中に吸 い込まれる。子どもたちの叫び声も、小鳥の歌も、皆みごとにハモっている。
 リラックスする散歩ではいつも、犬としての習性がありのままに出てしまうようだ。ラッキーはまず緑色の葉を食べる。こうすると胃の浄化によいから。そう しておいて今度は、道々で見つかる虫を食べる。たいていはすでに死んでいるもの。おっと蝉の幼虫が落ちている。むしゃむしゃ。コレハオイシイ。
「あっ、ラッキーが蝉を食べているよ」
「きっとカルシュウムが欲しかったんだね」
「あれっ、それは雨蛙じゃないか」
「あっ、こんどはトカゲだ」
「きっと肉が食べたいんだね」
 ラッキーが小さな生き物(すでに死んでいる)を食べる度に、子どもたちはいちいち言葉にして観察している。

 賑やかな食事が終わると、いよいよラッキーの重要な出番になった。私の発案 で、真っ暗な道を懐中電灯無しで歩くことにしたのだ。都会では街灯が町を照らし、ショーウインドーが歩道できらめき、ネオンサインが空にくるくる回り、夜 はない。だからそれらの一つもない、完全な暗闇、本物の夜を子どもたちに体験させてやるのが、わが家の習わしなのである。
 それを先導するのがラッキー。勝手知ったるいつもの散歩道を、彼女は風のように音もなく進む。そうだ、近くのお墓に連れてってやろうかしら。
 昔私が子どもの頃、小学校の隣にあるお寺の裏の大きな墓場に腕白小僧たちが夜集まって、肝試しごっこをやったものだ。その頃は懐中電灯でなく、提灯に蝋 燭をともしたほんのりした明るさだけが頼り。墓場に着くとそれを消してじっと目を凝らしている。するとどこからともなく黄色い火の玉がぼわーぼわーと浮か んできて、あっちの墓こっちの墓とさ迷う。それを人魂と呼ぶ。それが出ると、子どもたちは「うわあ出た!」と叫んで逃げ惑う。それは大人によると、燐が燃 えているのだそうだ。土葬にしていた頃の墓から、骨にある燐が空気中に放出されるのだとか。本当か嘘かは分からないが、私も皆と一緒に見たような記憶があ る。
 
「ほら、懐中電灯を消して。真っ暗の中を歩くのよ」
 促されて渋々と明りを消した子どもたちは、
「うわあ、なんにも見えないよ。こわあい!」           
 と叫び出す。足元はおぼつかなく、一歩一歩怖々と前に出す。よろよろと歩く姿はアヒルのようだ。それにひきかえラッキーは、滑るような早さで歩くことが できるのだ。得意満面で思わず顔が斜め上に上がってしまったその目で、彼女は何かを見たのである。おやっ、あれはなんだろう?

 やがて暗闇に慣れた子どもたちにも、いろいろな物が見え始めた。土手に生える 草の葉の一本一本。田んぼの水の中にいるおたまじゃくしやアマガエル。水面は星の光でキラキラと輝いて波立っている。頭上には降る雪のような星々。子ども たちは怖さも我も忘れて、暗闇の散歩を楽しんでいる。
「あれっ、ラッキーが見えないよ。どこにいっちゃったのかなあ」
「もう、ずっとずっと先のほうでしょう」
「ラッキーがいないと、どっちに行ったらいいのか分からないね。お?い、ラッキー!」 と、その時。向こうの田んぼの水面が何やらゆらゆらざわざわとして いる。なんだろう?と全員がそちらを見たら、ほとんど背中まで水に漬かったラッキーが、田んぼの中を猛烈な勢いで泳ぎながら走り回っている。さざ波だけが 輪を描いていて、ラッキー以外に何も見えない。彼女はウオンウオンと吠えながら、人間には見えない物の後を追い、こっちからあっち、あっちからこっちの田 んぼを、縦に横に斜めに円に走り回っている。皆呆気にとられたまま彼女の姿を目で追い、ただじっとその様子を見守っている。漆黒の星明りの中で繰り広げら れる大パノラマの追跡劇。
「ラッキー、がんばれえ!」
 子どもたちの声援がこだまとなって黒々とした山や谷や田に反響する。
 五分も経ったろうか。捕らえることができずについにラッキーは土手に上がってきた。ずぶ濡れのからだから、熱い活力と野生が放たれている。
「ラッキー、早かったねえ」
「ラッキー、凄かったねえ」
「ラッキー、勇気あるねえ」
 口々に褒められてラッキーは満足げだ。子どもたちも思いがけないこの特別ショーに大感激。それにしても、都会からなんにもないこの山奥をはるばる訪れた 子どもたちに、こんなドラマチックな場面を見せてやるなんて、ラッキー、あなたはなんておもてなし上手なの!
 正体不明のラッキーの相方、あれはきっと狸だったに違いない、と私は結論した。いつもこの時刻になると食べ物を求めて出没するからだ。人気のない墓場に 独り先にたどり着いたラッキーと、墓に供えられた菓子を失敬して満腹した狸とが鉢合わせをしたのだろう。彼女は自分の大切なテリトリーが荒らされて怒った のだ。菓子を奪われたのもそうだが、この神聖さ漂う空間を守ることを忠実に果たしたいために。
 そこはかつて、彼女がハッピーと一緒によく訪れて、本物や偽物の骨やベーコンを隠した場所だ。ところが墓場は、人間にとっては歴史的、宗教的、倫理的、 習慣的に大切な一角となっていることを私たちから教えられて以来、自分たちも滅多に近寄らない区域だった。それを盗人に侵入されたのだ。追い払うのが私の 役目、とばかりにラッキーは大奮闘したのである。
 皆がわいわい言いながら墓場に辿り着くと、子どもたちの足は恐怖で凍り付き、ぴたり、と止まったまま一歩も動かない。墓を懐中電灯で照らしてみると案の 定、花立てが倒れ、菓子の包み紙が破れて散らばり、墓場の踏み石に、形の違う動物の足跡がごちゃごちゃになって残っていた。皆ははっと息をのんで緊張し、 おしゃべりは止み、しんとした静けさだけが闇の中に浸透している。これから何か起こりそうな予感が、それぞれの背筋に走った。
 と突然、ぼおっと照らされた怪物のような顔が二つ、二基の墓石の向こう側からにゅっと出た。
「キャーッ!」
「おばけだぞう!」
「ヒャーッ!」
「おばけだぞう!」
 目をむき舌を長く突き出した顔が二つ、幻のように闇に浮かんでいる。顎の下から上に向けて懐中電灯に照らされた、わが夫と林さんの顔だ。彼らはいつの間 にか先回りをして墓の後ろに隠れていたのだ。肝試しは最高潮。子どもたち、そして大人たちの嬌声が再び山々にこだまし、山並みのひだの数の分だけ響きを返 している。それは永々と続いて欲しい子どもたちの時間だった、永遠の少年と少女の、そして犬という子どもの。


連載 休止のお知らせ
本連載は、突然ですが今回で終わりです。これまでのご愛読、ありがとうございました。
まだまだ話は続きますが、ただ今執筆中です。これまでの連載分と、割愛分に手を入れて推敲中です。
そして、今年の5月刊行を目標に、岩波書店から単行本として出版予定で す。どうぞお楽しみに。