こ の月あの時

 「大地に生きる喜び

 待ち望んでいた緑が戻った。大地一面、まるで緑色の絨毯を敷いたようなのだが、
目を凝らしてよく見ると、それには一つ一つ形の違う草ぐさが織り込まれている。そ
の緑の上にいると、自然に動物の本能がよみがえる。この中に何か食べ物はないか、
と探し回るのだ。動物なら鼻をひくひくさせて匂いで見つけるのだが、私、人間の持
つ嗅覚はそれほど鋭くない。だからやはり姿形、そして色合いによって食用となるも
のを発見するのだ。
 幸いなことに、私たちの祖先がすでに人体実験をして、どの植物が食べられるかを
教えてくれている。私はその知識を借りて、祖先の教え通りの草を採ってくる。いや、
祖先だなんて大袈裟に言わなくても、この地に生まれ育った隣人や友人が教えてくれ
る。つまり、生き字引だーー英語ではウォーキング・エンサイクロペディア、歩く百
科事典と言うから、植物を採集する野歩きにはこの方がぴったりだ。
「うわあ、たくさんの茸、私も欲しいわ。どこにあるのですか。採りに行きたいのだ
けれど……」
「うーん、場所は教えられないなあ。他人に取られちゃうから。いつか採ってきてあ
げるよ」
 最初に貴重な野草や山菜を見つけた人は自分の宝物のように大事にしているから、
それらが生えている場所は決して明かさない。そこで自分で見つけるしかない。だが
それが楽しいのだ。
 長靴を履き手袋をして、ナイフや鎌や小さいシャベル、籠を携えて野山を行く。因
鑑と首引きで調べるが、食用かどうか真偽の分からないものは持ち帰って分かる人に
尋ねる。たとえば、近辺で容易に見つかるセリには毒を持つものもあるから、すぐに
食べることはしない。考えてみると、原始時代に植物採集をして食べていた人々は、
一本の草によってどれほどの命を落としたのだろうか。祖先の命懸けの食の調達から、
今の私たちの食生活が成り立ってきたのだ、と感謝の気持ちがわいてくる。
 今の時期、春先に若芽を出し花を咲かせる植物の、食べられる種類はなんと多いこ
とか。田舎にいる私にも、ええっ、こんなものが食べられるの?! と初めて知り驚く
ものばかり。ハコベ、ヨモギ、タンポポ、雪の下、酸葉(すかんぽ)、ツクシ、ノビ
ル、ヨメナなどは都会でもお馴染みだ。しかし、アカザ、イタドリ、ウツボグサ、オ
ケラなどは田舎の方が見つけやすい。こんな珍しい草花と出会っただけでも嬉しいの
に、それを食べることが出来るとは、なんという恩恵だろう。
 野草はたいてい若い葉をゆがいておひたしにしたり、テンプラにする。私の経験で
は、おひたしでは少し食べにくいものも、テンプラにすると食べやすい。そのままで、
または塩を振って食べると、その草の香りや味がよく分かる。しかもそういう野草や
山菜のほとんどには、からだに良く利く薬効があるというのだからありがたい。
 こうして、野山で調達したものを食べるという手間をかけてみると、現代人がいか
に怠けているかが良く分かる。もちろん、人間の叡智によって生み出された便利さと
社会制度によって、何もしないでも食べ物が口まで到達することが出来るようになっ
たのだ。しかしそれはまた、自分の生を他に委ねていることにもなる。生きることの
基本である食活動を自分で行わず、すべてを他に任せ、自分は食べ物を胃の中に入れ
るだけ。それはそれで簡単明瞭、良いものだ、と種蒔きから調理まで自分で食べ物作
りをやっている私は、一種のうらやましさを感じることもある。そして時々の外食を、
子どものようにわくわくして喜ぶ。
 けれども、たとえば旅行などで、外食というか〃他食〃が長く続くと不安に駆られ
る。自分で生きていない、と実感するのである。他人の家に迷惑居候しているような、
自分の生活ないし人生を失ったような空虚感。いつもはざらざらに荒れている自分の
手が、何もしないためにようやくつるつるとしてきた頃、私はもう帰ろう、自分の居
場所に戻って本当の生活をしよう、と決めるのだ。私の足下にはたくさんの緑があっ
て、それが私を生かしてくれているのだから。 
yuai2005/4 月号  yuai<>

は日本で最大の労働組合団体、ゼンセン同盟の機関誌 です