こ
の月あの時
2010年秋
- 9月は久し振りに、私のベジタリアニズムへの情熱を再びかき立て
る機会に恵まれた。
- 9/4日。東京大学理学部小柴ホールを会場に、~シンポジウム「ヒトと動物の関係をめぐる死生学」
が開かれた。基調講演Dennis C.
Turner博士の「応用動物行動学について」から
始まり、第一部「ヒトと動物の関係」、「アニマルセラピーについて」「現代ペット問題について」
、
「補助犬問題について」 そして第二部「動物の倫理」では「動物実験について」と私の「ベジタリアニズムについて」の提言だった。
- 各界のそうそうたる専門家の中で、市井の物書きにすぎない私を参加させていた
だけて、とてもうれしかった。が、なんと言っても大学や各機関での専門家ばかり。私は苦手な質疑応答や討論では、たじたじとなり、恥ずかしい限りだった。
が、私の研究してきたベジタリアニズムの歴史的、倫理哲学的考察を、このような場で発表できたのは幸いだった。
- この提言のために原稿を書くので、改めて自分の書いた本を読んだが、『ベジタリアンの文化誌』、訳書 アダムズ『肉食という性の政治学―フェミニズム・ベジタリアニズム批評』、『ベジタリアンの世界』、『ベジタリ
アン宮沢賢治』は、どうしてこんな本が書けたのだろう、と自分で不思議なほど、迫力に満ちているので我ながら驚いた。今難航して中断している、日本のベジ
タリアニズムについてを書き上げようか、と考えたくらい、刺激的なシンポジウムだった。
-
- 9月末には、国際ペン大会で来日した、カナダの作家、マーガレット・アトウッドのトークとショーが行われた。彼女の本からの引用文が、私の訳本『肉食という性の政治学』にあったのだ。以来、彼女
の本、『浮き上がる』、『侍女の物語』などを読んだ。
- 彼女の出演する共催プログラムが青山のカナダ大使館オスカー・ピーターソンホールで行われた。 阿刀田高・日本ペンクラブ会長との対談
と彼女の新作の本「洪水の年」を彼女自身がドラマティック・リーディングに
作・演出した朗読劇が上演された。アトウッドも語り手として出演。日本人とカナダ人の混合グループによる群読とシンガーたちの合唱。
- その内容は、動物植物の生命保護に献身する「神の庭師教団」の人々をエデンの
園のアダムたちに擬して、無水の洪水による地球破壊が起こり、アダムたち数人を残して生きものが消えてしまった。この世界はどうなるのか。と問う環境文
学。生き残りの女性の名はトビーで、私の愛犬と同じ名だ。
- 語り手のアトウッドが最初の説明の部分で、人々は「vegetarian」だった、と彼女自身の言葉
で言ったので、私はわが意を得たり、と思った。彼女は多くの小説にベジタリアンを登場させている。上演後、ロビーで彼女に挨拶をした。小柄な彼女の顔は大
理石のように白くすべすべしていて、低い声が明確に良く通る。つい手を出して握手を求めてしまった。長年、彼女の小説とベジタリアニズムに取り組んだ私と
しては、彼女と実際に会ったことは、ご褒美のようなものだった。この近未来小説「洪
水の年」を、日本語訳が出たら読みたい。
2010年初夏
©
Edward Levinson
「平和」とは「日常を守る」こと
井上ひさしさんの思い出
井上ひさしさんが亡くなってから、このところ、いろいろな方
が追悼記を書かれている。私にもほんの小さな思い出がある。
私は彼の著書の愛読者。いつも抱腹絶倒しながらも、彼の思想
の深さに圧倒されている。『吉里吉里人』の発想の奇抜さに驚いた。しかも、後ろの方には、私がデビュー作『ロンドンの美しい町』に書いたような、スク
ウォッターがロンドンから会議に参加するではないか。そして、私も当時、村人だった西荻窪の「ほびっと村」も、登場する。
1990年だったか、山形県小松の彼の遅筆堂文
庫で行われた「生活者大学校」に参加した。庭先の交流会で、彼と話をした。「こういうところが日本各地に点々とあって、それが繋がっていくようになればい
いですね。」20年後の今、各地にそんなところが出来ている。
この時の学校の翌朝の挨拶で、彼はとても喜んで報告した。
「皆さん、驚くことに、昨日一日で、ここで本が500冊売れたんですよ! ということは、ここにいる皆さんの知的レベルがいかに高いかの証です(要旨)」まったく、この小さな会場でテーマに関する様々な本が500冊も売れたとは!!
「九条の会」の全国大会でも、発起人として、楽しくお話しを
なさった。
思うに、独立国には、吉里吉里国だけでなく、沖縄も国として
独立すればいいのだ。
彼の戯曲に、『イーハトーボの劇列車』がある。もちろん宮沢
賢治の世界だ。それに私のきょうだいの俳優、鶴田忍も出演した。山男か漁師だったか。そのこまつ座の季刊「the
座」に、出演者として彼の言葉を書いたが、ベジタリアンとして私のことも書いてあった。彼はこ
まつ座の『雨』にも出演している。また、「ひょっこりひょうたん島」の海賊の巻でドタバータの声も演じている。
私が『ベジタリアン宮沢賢治』(晶文社)を上梓したとき、井上さんに贈呈したの
はいうまでもない。
私が彼の訃報を知ったのは、『ボローニャ紀行』を読んでいる
ときだった。
彼の「平和」の定義は「日常を守る」ということ。
ああ、もっと生きて、世界中の誰もが「日常生活を幸せに送
る」ことに、彼の知恵を活かして欲しかった。今こそ、私たちは彼を必要としているのだが。
いつまでも心に生きる人
09年末、喪中のお知らせが例年よりたくさん届
いた。ご遺族のお気持ちを思うと、わが身のその時と同じ、悲しみが広がる。
お二人の方のご逝去が特に、私には悲しみが深かった。
© Edward
Levinson
2月に逝去された稲越功一氏。言わずと知れた著名な写真家である。彼とは東京・国分寺町のご近所
さんとして知り合った。1984年の春のこと。お互いに家族同士で行き来した。エドがまだ写真家になる前
で、エドは氏に、英語のお手伝いなどをした。
わが家にお越しになったある日、木の枝に付いた一輪の白い花
を下さった。とても小さな白い花。しかし香りが強烈だった。お庭に咲いた蜜柑の花だと言う。なるほど、香りがきついので、一輪で十分なのだった。それを
ちゃんとわきまえていられたことに感動し、私はそのことを本に書いた。繊細な、濃やかな神経の持ち主であることの証だ。
時々、ご自分の文章の手書き原稿を持ってこられ、私に読ませ
て下さった。青鉛筆の字である。その後、エドが写真家になり、写真展を開いたとき、言葉を寄せて下さったが、それも青鉛筆で書かれていた。私たちが今、本
に
色鉛筆 でサインをするのは氏の真似である。鉛筆の柔らかな質感が、人間の優しさを表すことを教えて下さったのである。
出版する本は青鉛筆の署名入りでことごとく贈呈して下さっ
た。写真展のオープニングには必ず招待して下さった。おかげで私たちは末席で(ほとんど立ちっぱなしで歩き回るのだから、席に上も下もないが、)それぞれの分野
の日本を代表する方々を拝顔することが出来た。そんな場でも、氏はダブルの紺の背広に白の布の運動靴の決まり切ったスタイル。でもある夏のエドの写真展
オープニングに、真っ白い背広の上下と白い帽子を粋に着こなしていられてびっくり。
ご自分のパーティーではいつもお客を笑顔で出迎えられ、自ら
写真を撮り、それを後日、必ず 青鉛筆のサイン入りで送って下さる。いつでもエドは
彼とハグをし、私は握手して、親しみを表して下さった。
誠実で、謙虚で、はにかみやで、言葉少なで、このような人間
性の深みと広さを持った人を私はあまり知らない。その意味で、私は稲越氏の大ファンだ。その写真は、
都会でも自然でも、日本でも外国でも、花でもヌードでも、 ヒューマニティーに溢れている。
晩年はシルクロードの撮影で、よく中国へいらしていた。(私たちの2007年夏の銀座でのパーティーに
も、中国から帰国が間に合えば出席して下さるとのファックスが入ったが、間に合わなかった)。
1月の末に病を得たことをお手紙で公表されたの
で、お見舞い状をお送りした。するとそれに対してのお礼状が届いた。どこまでも、誠実な方なのだ。春には治って、またお仕事をすると。そう信じていたの
に、2月25日に突然逝去された。お礼状の日付も同じ2月25日だった。
私たちにはいまだに氏の早世は信じられず、またどこかでお会
いしたり、お電話がかかるのではないかと待っている。
11月の末に逝去された青木やよひさん。新聞で知り、とても驚いた。作家で評論家。べートーベンについ
ての著書やフェミニズムに関する評論で活躍された。
私の手元には10数冊の彼女の著書がある。私当てのサイン入りも数冊ある。その中の『女が自由を生きるとき』を1989年1月9日付けの「週刊読書人」
に、私が書評を書いている。「等身大の視野でみた女性問題 かみくだかれた文章と言葉からなる」とタイトルされて。それをとても喜んで下さった。
青木氏は、ホピ・インディアンについての著書もあり、それか
ら私は彼女の本を読み始めた。が、『母性とは何か』や編著『誰のために子どもを産むか』には大いに刺激を受けた。そして最近はベートーベンについての一連
の書に感銘を受けた。つい最近、テレビでベートーベンのことをお話ししているのを拝見した。相変わらずの優しい笑顔と、あの甘いかわいらしいお声。何回か
ご一緒になったが、ご自分のためのパーティーでは、帰国したばかりのインドのサリーを着ていらした。とてもかわいかった。
ある年末に著書をお送り下さったので、ちょうど満開のニホン
スイセンを100本摘んでお送りした。お礼状に、目のご不自由な90歳のお父上が香りをお喜びになったと書かれていた。私はこのことを『丘のてっぺんの庭 花暦』に書いた。
最近、書状が途絶えていて、お忙しいのでしょう、と思ってい
たのだった。
私に、多くの読者に、勇気と励ましを与え続けて下さった、優
しい美しいやよひさん。
いつまでも私の心の中に生きていらっしゃいます。
と、お二人について書きながら、今、私の目には涙が溢れてい
ます。オレンジ色をした
下弦の月が、東の闇夜にぽっくりと浮かんでいる満月から5日目の午後10時半。