今咲いていてる花
福寿草、菜の花、和水仙、ラッパスイセン、椿―侘助、房咲き水仙、蕗。猫柳
もうじき咲く花
とさみずき、レンギョウ、雪柳 
そのほかたくさんのふくらんだ芽がいとおしい。
満開の花
桜、梅、菜の花、椿が一度に満開になった春一番が吹いた日。


「喜 びのフクジュソウ」

 寒空の厚い雲に割れ目ができ、一条の光がさ あっと射したかと思うと、太陽がちらりと顔をのぞかせた。天上に春への期待が満ちる。その光が届いた大地を見 ると、そこにも春の兆しが見えた。フクジュソウの花である。春を待ち切れず、まだ解けきらない雪の下から一輪、そっと、でも元気いっぱいに現れた。とくに 雪国では、最初に春を告げる花として、冬を耐え忍んでいる人々に喜びを与える。天も地も春を迎える準備をしているのだ。
 フクジュソウは福寿草と書き、おめでたい響きだからか、新年の花として珍重されている。でも野で咲くのは二月頃から。別名を正月草と言い、旧暦のお正月 に愛でられたが、新暦のお正月には間に合わないので促成栽培される。善きものは、わざわざ人の手を経てまでも、それと似せて作り出される。すると新しさに 気を取られ、もともとの良さは忘れられがちだ。野にある植物も、栽培され品種改良されて出回ることによって、野から次第に姿を消して行くことになるのだろ うか。
 と同情しても実際の私は、野にある草花を自分の庭に移植するのだから、やっていることは栽培と同じだ。今ここにある善きものを堪能しよう。と、いつかの 年にお正月に楽しんだフクジュソウを鉢から出して庭に移植した。それから玄関周りに植えたら、花のない時期にそこだけ太陽が明るく照らしているかのよう。
 栽培物でも野に置いてあげよう、本来あるべき場所に戻してやるのだ。するとそのうち栽培種が野生種に還える、なんていうことになるかもしれない。こうし て半自生した草花は種々ある。私の庭では開いたばかりの花の黄色が光ってまぶしい。喜ばしいものはいつどこにあっても大切にしたい。そうすれば喜びは自然 に広まっていくだろう。

がー、がーと変な声が聞こえる、と思ったら、案の定、蛙だった。まだまだ寒 いのに、気の早いおっちょこちょいの蛙が、ーーもしかしたらまだオタマジャクシかもしれないが、
我先に、と一番乗りを上げたらしい。でもあまりの寒さに、また土の中に潜ってしまった。
けれども森からは冬よりももっとにぎやかにさえずりがしてくる。もうすぐ春だよう、
と小鳥たちが触れ回っているのだ。
その声を聞くと、こちらも心が弾み、この日の寒さにも温かさを感じるこのごろ。

霜よけのわらの下で、秋に植えた球根の芽がツンツンと出ている。剪定した常 緑のアオキの大きな葉を一枚、霜よけにわざと置いておいた。するとどうでしょう、チューリップの芽が
その葉に穴をあけて飛び出ているのです。何という生命力でしょう。

テレビでひところ、コンクリの地面に生えた大根で大騒ぎをしていました。そ んなのは何の不思議もないことです。屋根瓦の上に咲いたタンポポの花や、アスファルトに咲くスミレの花など、生きる力はどんな人間にも劣りません。