「兎のよろこび」

  「ウーウーウー」。鎖を解かれて散歩に出たわが愛犬が、家のすぐ外の野原で小さくうなっている。何やらうれしそうだ。野原の物陰に棲んでいる野兎を追いかけ、遊んでいるのだ。兎は決して犬につかまったことはない。私たち人間にも馴れ、人の通るそばで身動きもせずに草を食んでいる。近所の人皆にとって、この野兎は見るだけのペットとなった。
 温暖なこの地方では珍しく雪が積もった日、庭の向こうに何かの気配を感じた。ドアを開けてみると、あの野兎が後ろ脚ですっと立ち、こちらを見ているではないか。そうか、雪が深いので食べ物が口に入らないのだ、と私は直感した。人参やキャベツの切れ端を置いたら、もぐもぐとおいしそうに食べた。
 「ウォンウォンウォン!」。普段おとなしい愛犬のいつにない激しい吠え声。恐怖と怒りが響いてくる。走り出てみると、猟銃を構えた若者が一人。
 「な、何を狙っているの?」「あそこに兎がいるんだ」。「あの兎私たちのよ。撃たないで下さい」。
 それに、民家のこんな近くで猟銃をむき出しに持つのは法律違反だ。とにかく命の大切さを説き、おとなしく引き取ってもらった。
 二月になるとうれしいのは、これから秋まで、あたり一帯が禁猟区に戻ること。もう猟銃の音を聞かなくてもいい。撃たれずに命を永らえることの出来た鳥や動物とともに、私たち人間も日々の緊張と恐怖を解かれ、野生動物のような自由を感じるのである。